吉橋大師

1823年(文政6年)開創

1807年(文化4年)に貞福寺第38世住職「存秀和尚」によって、吉橋大師の前身となる下総大師(下総四郡八十八ヶ所霊場)が開設される。

下総大師とは、八千代市・船橋市・習志野市・鎌ヶ谷市・白井市・市川市・柏市・松戸市にまたがる広範囲な霊場であり、後の吉橋大師・葛飾大師・東葛印旛大師の元となった「お遍路さん」である。

四郡とは、千葉郡・葛飾郡・相馬郡・印旛郡であり、霊場巡礼が盛んな地域であった。

真言宗寺院の興隆を目的として始まったが、当時は全国各地で農民一揆が発生しており、一揆を懸念さすほどの爆発的な広がりから、幕府の徒党禁止令により分割を強いられたと伝わっている。

吉橋大師は、八千代市・船橋市・習志野市・鎌ヶ谷市・白井市の五市からなり、八千代市吉橋を中心とする周辺住民によって構成され、毎年、春彼岸・秋彼岸の時期に数日かけて巡礼をした。その際、一度使用した行程を使わないことから毎回コースが異なった。

明治に入ると、「お遍路さん」を楽しむばかりではなく、札所に絵馬などの奉納が盛んに行われるようになり、昭和には巡礼者が500名を超え、戦後には1000名を超え、吉橋大師の最盛期を迎えることとなる。

平成17年には吉橋大師開設200周年を記念した記念遍路が開催され、延べ500人を超える「お遍路さん」となった。総距離およそ100㎞